初めて靖国神社にご参拝してきました。
右翼の方や軍国主義的な方が運動とかしているのかな、と思っていたのですが、とても静かで穏やかな場所でした。
靖国神社の詳細情報
住所:東京都千代田区九段北3丁目1-1
電話番号:
公式HP:https://www.yasukuni.or.jp/access.html
靖国神社の最寄り駅
- JR中央線・総武線「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」 徒歩10分
- 地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅(出口1)」 徒歩5分
- 地下鉄有楽町線・南北線・都営新宿線「市ヶ谷駅(A4出口)」 徒歩10分
- 地下鉄東西線・有楽町線・南北線「飯田橋駅(A2出口、A5出口)」 徒歩10分
一番近くで便利な駅は九段下駅です。
九段下駅の1番出口からなら、靖国通り沿いの歩道をまっすぐ進みます。
すぐに靖國神社の第一鳥居(大鳥居)が見えてきますので迷うことはないと思います。
靖国神社の歴史
靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられました。
創建当時、日本は明治維新によって近代的統一国家として大きく生まれ変わろうとしていました。
アメリカや西欧諸国の日本に対する開国要求が強まり、開国派と鎖国派の対立が激化し、近代国家建設のために戊辰戦争で多くの尊い命が失われました。
そこで、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社(しょうこんしゃ)」が創建されました。
この招魂社が今日の靖國神社の前身です。
明治12年(1879)6月4日には社号が「靖國神社」と改められ別格官幣社に列せられました。
「靖國」という社号は、「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社のご祭神
明治維新の際に亡くなった方と明治以降の戦争において戦没した御霊約246万6千柱がお祀りされています。
特に第2次世界大戦では、軍人、軍属(軍隊に所属しているが軍人ではない人、通訳や従軍僧侶など)、官吏、警官、民間人などもお祀りされています。
看護婦やひめゆり部隊などの女性もお祀りされています。
靖国神社の博物館である遊就館を見学
遊就館(ゆうしゅうかん)は、第二次世界大戦だけではなく、日本古来からの武器や戦いの歴史に関する資料を展示している博物館です。
ゼロ戦や、回天も実物が置いてありました。1階の展示物は自由に撮影可能でしたが、回天は展示室内にありましたので撮影不可でした。
こんなに小さな翼の飛行機が空を飛んだんですね。
当時は世界一の性能を持つ戦闘機・ゼロ戦。
設計者の堀越二郎は、宮崎駿監督の手でジブリ映画のモデルにもなりました。
▲堀越二郎を題材にした映画です。
1匁(もんめ)でも軽くしようとボルト1本の細部にこだわり設計されたゼロ戦。
「爆弾を積まなければいいんだが」という冗談も交わされます。
このゼロ戦でたくさんの若者が命を落としました。
遊就館の展示室は思ったより広い
遊就館を全部見て回るには、120分コースと60分コースがあり、なかなか見応えがありました。
- 展示室1 武人のこころ
- 展示室2 日本の武の歴史
- 展示室3 明治維新
- 展示室4 西南戦争
- 展示室5 靖國神社の創祀
- 展示室6 日清戦争
- 展示室7 日露戦争パノラマ館
- 展示室8 日露戦争から満洲事変
- 展示室9 招魂斎庭
- 展示室10 支那事変
- 展示室11 大東亜戦争1
- 展示室12 大東亜戦争2
- 展示室13 大東亜戦争3
- 展示室14 大東亜戦争4
- 展示室15 大東亜戦争5
- 展示室16 靖國の神々1
- 展示室17 靖國の神々2
- 展示室18 靖國の神々3
- 大展示室 展示室19靖國の神々4
展示室1と2も、鎌倉時代に使われていた武具、江戸時代の刀や甲冑の展示がしてあり、広くて見応えがありました。
遊就館の公式サイトはコチラ
靖国神社と戦争
第二次世界大戦が終わってから70年がたちました。
世界は平和です。
戦後の焼け野原の日本から、高度経済成長、バブル、不景気など、長い時間を経て今があります。
戦争で特攻隊としてゼロ戦や回天に乗った人が、「より良い日本の未来のために」と想いを託した未来が、今私たちが生きている平和な未来です。
死にゆく若者の想いを想像する時、私は涙を止められません。
そして、視点を変えて日本の軍隊という組織を考えた時、特攻隊や回天に乗る若者に、
「死ねば軍神になれる」
「靖国神社にお祀りしてもらえる」
と言って送り出した軍隊に寒気がします。
「靖国で会おう」
「靖国の桜の下で会おう」
と言い残した若者も多かったといいます。
▲靖国の桜です。
そして、生きて帰った人は、死にぞこないとして、肩身の狭い思いをするのです。
▲回天を題材にした映画です。
回天は人間魚雷です。
名前の由来は「天を回らし戦局を逆転させる」という意味があり、人間が乗った潜水艦が敵艦に突撃するのですが、操縦が非常に難しく、訓練中に亡くなった若者も多いといいます。
不具合により発進できない艇も多く、華々しく見送られて海に出たのに母艦から発進できず、帰ってきて人々の冷たい視線を浴びる様子が描かれていました。
この映画の主人公を演じた市川海老蔵は、操縦が覚えられず訓練でとんでもない失態をしてしまいます。野球がうまく皆に慕われるのですが、敵艦を前にして発進できず帰ってきてしまいます。結局訓練中に行方不明になり、戦争が終わってから発見されます。
小作農家や、田舎の家から息子が軍神になることは名誉であり、そのような価値観に支配された時代だったのでしょう。
▲織田裕二主演の映画です。
バブルのさなかに作られた映画だからでしょうか、内容が薄く、全く感情移入できませんでした。
織田裕二、的場浩司、緒形直人、風間トオルなど、トレンディドラマ全盛期の浮かれた俳優がやたら「祖国とはなんだ」などと反戦の言葉を口にします。赤紙が来たのに逃げたり、軍から逃げてバイクでフィリピンの海辺を走り回る様子が描かれています。
そして、戦争で亡くなった人は「お名前+命」という神様の敬称で、遺書や資料とともに展示されています。
(遊就館ホームページより)
人間を神様としてお祀りすること自体は、珍しいことではありません。
大きなエネルギーを神として祀る感性を持つ我々日本人は、天皇や武将を神様としてお祭りしたり、松下幸之助のお社を建立したりします(椿大神社)。
でも、靖国神社に関しては、その背景を考えると、ご参拝することは軍国主義を礼賛する意味を持ったり、中国や韓国など近隣諸国に不快感を与えたり、思想の問題にもつながります。
だから首相がご参拝すると問題になるんですね。
今回のご参拝は、ただ「安らかでありますように」とお祈りしました。
靖国神社ご参拝のまとめ
靖国神社をご参拝するにあたって、映画を見たり、本を読んだり、戦争について考えてみました。
戦争で命を落とした人が人生でやりたかったこと、未来をあきらめた気持ちを思えば、私達が直面している問題なんて小さなことであり、こうして日常生活を送れていることは、とてつもなく幸せなことに思えます。
私たちは幸せです。
行きたいと思って予定を立てて東京に行き、おいしいものを食べて仲間と楽しい時間を過ごす。
食べるものがあり、家があり、毎日家族と平穏に暮らせて、仕事に行ける。
この幸せな世界で私たちは何でもできます。
制約はありません。
この人生を生かしきるために、きっと私たちを応援してくれる見えない世界の人たちの想いを胸に、私は努力を続けていこうと思いました。
最後に一つ、軍隊として命令系統が混乱すると死に至る例として非常に感慨深い映画をご紹介します。
▲参加者210名中199名が死亡するという陸軍訓練を題材にした映画です。
本も読み応えがありましたが、映画も高倉健、北大路欣也, 丹波哲郎, 三國連太郎, 加山雄三など、重厚感あふれる俳優陣がしっかりと世界観を構築しています。
自分がもし神田大尉だったらどうすればよかったのか、その答えはまだ見つかっていません。
命令ではなく、「八甲田山に登ってみたいとは思わないか」という上司のつぶやきのような言葉で始まった冬季軍事訓練ですが、この時代から「忖度」はあったんですね。
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