ショーン・タンの世界展「どこでもないどこか」へ行ってきた*最新刊『セミ』はどんな話?

ショーン・タンはオーストラリア出身のイラストレイター、絵本作家、映像作家です。

日常からちょっとずれた世界を描くシュールでファンタジックなグラフィックと美しい彩色、不思議で心和む絵本は大人向けとして人気が高く、世界中から注目が集まっています。

そんなショーン・タンの、「ショーン・タンの世界展」が京都で開催されていたので、行ってきました。

ショーン・タンの公式サイトはコチラ>>

ショーンタンの世界展は巡回しており、東京のちひろ美術館の後に、京都展が開催されました。

2019年5月11日(土)~7月28日(日) ちひろ美術館・東京
2019年9月21日(土)~10月14日(月・祝) 美術館「えき」KYOTO

ショーン・タンの経歴、最新刊『セミ』のストーリーなど、わかっていることをまとめました。

ショーン・タンの経歴

ショーン・タンの作品の多くは物静かな寂寥感と切なさが混じり、シュールで恐怖すら感じさせる描写をすることも多いのですが、その作風の背景には、マレーシアから西オーストラリアに移住したショーン・タンの父親の経歴が深く関わっていると言われています。

1974年オーストラリア生まれ。幼いころから絵を描くことが得意で、学生時代からSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。2006年に刊行した『アライバル』は現在23の言語で出版されている。イラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプト・アーティストとしての活躍の場をひろげている。約9年の歳月をかけて映画化した『ロスト・シング』で2011年にアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞。同年、アストリッド・リンドグレーン記念文学賞も受賞。

出典:ショーン・タン公式サイト

 

生年月日 1974年
出身 西オーストラリア州フリーマントル
出身大学 西オーストラリア大学University of Western Australia

美術と英文学を修める

2000年 『ロスト・シング』刊行
2006年 『アライバル』刊行
2008年 アングレーム国際コミック・フェスティバル最優秀作品賞受賞
2010年 『ロスト・シング』アニメ化
2011年 アカデミー賞短編アニメーション賞受賞
2011年 アストリッド・リンドグレーン記念文学賞受賞

ショーン・タンのロスト・シング

ロスト・シングは、2000年に刊行された絵本です。

2011年にCGアニメ映画化され、DVDの販売されています。

映像が動いて音がつくと、印象が全く違うものになり、目を話せずにジッと見てしまいます。

「ショーン・タンの世界展」でも上映されていましたが、皆無言でジッと見ていました。

ロスト・シング / 原タイトル:The Lost Thing / ショーン・タン/著 岸本佐知子/訳

夏のある日、”ぼく”が海辺で出会った”そいつ”は、なんだかへんちくりんな姿の迷子だった――。この『ロスト・シング』は、名作絵本『アライバル』でその名を知らしめた絵本作家ショーン・タンが2000年に発表した実質的なデビュー作です。

海辺で出会った”そいつ”は、見上げるような大きさの、生き物とも機械ともつかない存在です。その姿は真っ赤なダルマストーブにカニの鋏とタコの足をくっつけたような格好をしていて、大きさの割にはなんだか愛嬌があり、とてものほほんとしたヤツなんです。”ぼく”はどこから来ていったいなんなのかまるでわからない”そいつ”がきっと迷子なのだろうと思う事にし、家に連れて帰って”そいつ”の処遇に考えあぐねます。

出典:はてなブログ

ショーン・タンのアライバル

アライバルは2006年に刊行された絵本です。

セリフは一切なく、セピアのノスタルジックな絵で128ページにも渡るストーリーが綴られています。

そこには主人公の男性を取り巻く家族や親切な人々、そして奇妙な世界が広がっています。

一家の大黒柱であるその男性が荷造りを始め、家族に惜しまれながら家を出ていくシーンからこの作品は始まります。男性は、今暮らしている場所が住みにくくなったのか、家族を残して一人異国に旅立つのです。家族のために異国で仕事を見つけ、生活の基盤を築こうとする男性ですが、彼から見たその新しい世界は、何もかもが目新しく異様で、男性はその世界に根を下ろすために努力を重ねます。

文章がないのに、男性の心情が絵から滲み出してくるような作品です。大人になってから新しい環境に順応しなくてはならなかった男性の心細い気持ちや戸惑いなどが、絵を通じて伝わってきます。

出典:ホンシェルジュ

ショーン・タンのアライバルを読んだ人の口コミ

まるでサイレント映画を見ているような構成に感嘆。セピア気味に処理された簡略ではあっても心象を巧みに映す深みのある画。表紙裏に描かれた人々の顔をじっくりと見つめて、また読後の余韻に浸った。

出典:Amazonレビュー

 

ご苦労なさったご両親の姿を重ね合わせて描かれたのでしょうね。
セリフは一切なく、サイレント絵本のようにも思えますが、町のざわめきや人々の会話が聞こえてきそうな迫力に満ちています。

出典:Amazonレビュー

 

絵だけで綴られる物語は、壮大ではあるものの、すっと心に染み入り、わかりやすい。
セピア色の温かな画風はノスタルジックだが、世界観は斬新。
どこにいても、語らなくても、表情から読み取れる人の感情は、
世界共通言語だと思い知らさせる。
この本に出会えてよかったとしみじみ実感する、素敵な1冊。
是非この本のページをめくる感動とワクワク感を多くの人たちに味わってほしい。

出典:Amazonレビュー

ショーン・タンのエリック

2012年に刊行された絵本です。

ほんわかした雰囲気に包まれている作品です。

読後に温かい気持ちになります。

小さくて可愛らしい、少し不思議な生き物であるエリックは、この作品の主人公である語り部の家にやってきた交換留学生です。語り部は親しみを込めたまなざしでエリックを見守ります。

語り部の家族はエリックのために空き部屋のペンキを塗りなおして過ごしやすいように部屋を整えましたが、エリックはなぜか台所の戸棚で寝泊まりを始めます。家族はエリックの個性をおおらかに認めながら、彼と一緒にいろんな場所へ出かけ、たくさんのものを見せてあげるのです。

エリックが突然帰って行った日、残された家族は喪失感に包まれながらエリックが出て行った理由を話し合いました。しかし、エリックのいた戸棚からあるものが出てくると、家族は皆、笑顔に包まれるのです。

出典:ホンシェルジュ

ショーン・タンのセミ

セミは、2019年に発売された絵本です。

2019年6月15日に朝日新聞には次のような記事が掲載されました。

セミ、まじめに働く。しかし、人間と違うため、差別を受ける。イジメにあう。そんな日常が続く。定年の日の、上司の冷たい一言。かわいそう。読者はそう思う。セミは人間世界からオサラバする。せいせいする。絵本は終盤。でもここからが本書の見せ場だ。読者もまた、セミから突き放されるからだ。我々は気づく。自分が、安易に同情し、型にはまったマジメな「読者」を演じてきただけだったことに。
著者は人間ばなれした観察眼と描写力で、日常では見えない世界を描いてきた。登場するキャラクターは信じられないほど愛らしく(『エリック』)、また時に、ちっともわからないのにすごく面白い(『ロスト・シング』)。著者の描く絵は言葉よりも雄弁であり、言葉はひかえめながら堂々としている。言葉なんかなくて平気な時もある(『アライバル』)。読者は、彼の前で受け身でいることはできない。知らず、飛翔(ひしょう)力を磨いてしまう。絵本を閉じてから開く、想像力の羽を。

出典:好書好日

筆者のショーン・タンは、セミについて次のように語っています。

『セミ』は、オフィスで働く一匹の虫と、彼を愛さない人間たちをめぐるお話です。わずか32ページの、ごくシンプルな絵本です。奴隷のような会社員生活の、言葉にならない恐怖についての……いや、本当にそうでしょうか? 虫が何を考えているかは誰にもわかりません。

『セミ』のアイデアが浮かんだのは、2005年ごろベルリンに行ったときでした もっとも、いつ、どこでかは、この際そう問題ではありません。私は見上げるようにそびえたつ灰色のオフィスビルを眺めていました。びっしりと並ぶ何百という灰色の窓の中で一つ、たった一つだけ、窓ぎわに誰かが真っ赤な花の鉢植えを出して日に当てているのが見えました。そのとき友人に冗談めかしてこう言ったのを覚えていますあの中ででっかい虫が働いているんじゃないかな、ハチかなんかがさ。それ以来、無機質なオフィス空間にまぎれこんだ場ちがいな生き物の姿を見るたび、その考えが浮かぶようになりました。ぽつんと一つだけ置かれた鉢植えや、誰かが職場に連れてきた犬や猫、迷いこんだスズメ、そしてもちろん、窓ガラスに何度も体当たりして外に出ようともがく哀れな虫。

もう一つのインスピレーション源は、自宅の寝室の窓の外で鳴いているセミの声と、ときどき見つかるセミの脱け殻でした 妖精<ニンフ>が脱ぎ捨てたようなあの薄皮が、よく木の塀の高いところにしがみついたまま残っているのです(メルボルンでよく見るのは大きな薄みどり色のセミで、前に住んでいたパースでは見かけなかった種類です)。以前、どこかでセミの一生についてのドキュメンタリー番組を観たことがありました。セミたちは17年もの年月を地中で過ごしたあと、いっせいに外に出てきて、数の力で天敵に対抗し、そしてはかなくも輝かしい数日間のうちに交尾し、生涯を終えるのです。まるで一生のハイライトをぎゅっと圧縮して最後の大舞台に注ぎこんだようでした。17年という長いサイクルは人間にはなじみのないものですが、それでも不思議とわれわれはそこに魅きつけられずにいられません。もしかしたら私たちは、限りある生や、忍耐や、もしかしたら愛のメタファーさえ、そこに隠されていると感じているのかもしれません。

いつもそうですが、この本も子供だけに限定しない(でも子供にも読める)絵本にしたいと思いました。描きながら思い浮かべていたのは、努力の報われない場所で仕事をしている知り合いや家族の顔でした。私の父もその一人でした。仕事人生では楽しいことばかりではなかった父は、リタイアするとさっさと庭の奥に引っこんで、以来オリーブからチェリモヤにいたるまで、じつにさまざまな作物を喜々として育てつづけています。

出典:WEB河出

私も読みましたが、17年間会社で働いたセミは、定年を迎えて飛び立ちました。

でも、セミにとっての土の中はつらいものではなく、ぬくぬくと餌をむさぼって生きられる場所であり、土の中こそが本番なのです。

地上に出てからの後尾はおまけのようなもので、土の中で過ごすことが幸せなのです。

昆虫学者からそのようなことを聞いたことがありますが、ショーン・タンの『セミ』は、何とも切ない物語に仕上がっていました。

ショーン・タンの世界展を見た人の反応

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